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マメ知識

有史以来、文化、文明に寄り添ってきた金

世界最古のシュメールの金装飾品と古代エジプト

現在、人類最古の金製品は、紀元前6000年前にメソポタミアに文明を築いた古代シュメール人によるものだと考えられています。未だなお謎に包まれた高度な文明を持つシュメール人は、「アヌンナキ(神)は地球に金を掘りに来た」と粘土板に残しており、金がどれほど古い時代から人類の歴史と文化に関わってきたかを知る重要な資料になっています。黄金の装飾品で世界で最も有名なのは、エジプトのツタンカーメン王でしょう。王の眠る黄金の棺に使用された金は約110kg。4500円/gで計算すれば約5億円と途方も無い量で、王と王家の権力と威信を示すものでもありました。現在は貴重な文化財として、エジプト考古学博物館に保管されています。エジプトの女王であり、死後2000年以上経ってなお絶世の美女と呼ばれるクレオパトラも、その身分の高さと気品を表すため、金の装飾品を身に付けていたと言われています。また、シュメールの金装飾品と並んで最古と言われるヴァルナ文化を産んだトラキア(現在のブルガリア周辺の地域)は、黄金文明とも呼ばれ、古代エジプトや古代ギリシア、ペルシア、ローマなどの周辺各国の影響を受けながら、数多くの金の装飾品を生み出しました。普遍の輝きを持つ金は、富と権力の象徴として、人類の文化と歴史に深く寄り添ってきたのです。

黄金の国日本の金文化

金は日本の歴史にも深い影響を及ぼしています。日本で最も有名な古代の金製品は漢委奴国王印ですが、古墳時代の副葬品には鉄に金線を埋め込んだ金象嵌の剣なども発見されており、既に古い時代から金の希少性と権力の象徴としての価値が見出されていました。実際に日本で金の産出が始まったのは奈良時代で、遣唐使の滞在費用などとして日本から砂金が持ち込まれたことから、「黄金の国」というイメージが作られたと言われています。奥州から産出する金は対外貿易で多く用いられ、日本の豊かさを国外に示すものでもありました。マルコ・ポーロによる「東方見聞録」で日本を黄金の国「ジパング」と紹介するモデルにもなった金箔を装飾にふんだんに使用した中尊寺金色堂や、秀吉が好んだ金屏風に使用されているのは、実際は板金ではなく金箔です。この金箔技術はいつ頃伝来して始まったのかわかっていませんが、寺院建築や仏像彫刻に使用されて発展し、豊臣秀吉の時代には既に日本独自の技術として確立していた記録が残っています。金箔の厚さはわずか1/10,000ミリ。この金箔が日本独自の金と漆を組み合わせた美術品などを生み出しました。また、金箔を叩く際に使用した紙は非常に柔らかで油脂をよく吸うため、あぶらとり紙として女性たちに愛されてきました。

オリンピックのメダルは本当に金?

古代オリンピック(オリュンピア大祭)にはメダルは存在していませんでした。代わりに競技の勝者には主神ゼウスのシンボルでもあるオリーブの冠を与えられ、神と同席することを許されたものとして名誉を以って故郷に迎えられ、オリンピュアの神殿敷地内に優勝者の像が作られました。よく誤解を受けますが、ギリシア彫刻によく見受けられる月桂冠はアポロンの象徴であり、オリンピュア大祭では使用されていません。メダルが登場したのは近代オリンピックの1896年でした。経済的な事情から、初回は一位に銀、二位に銅のメダルが贈られました。この選手に送られるメダルの素材は実は金ではありません。国際オリンピック委員会が定める憲章によって「直径60mm、厚さ3mm以上であること」「1位と2位のメダルは少なくとも純度92.5%以上の銀であること」「1位のメダルは少なくとも6gの純金で金張りまたはメッキを施すこと」など、細かなルールが定められているのです。つまり、金メダルの中身は銀でできています。2020年に再びやってくる東京オリンピックですが、メダルのデザインがどうなるのか、既に期待されています。